「空の巣症候群?」

私事ですが、3 人の子どもの一番下の息子が成人式を迎えました。
1才になるまで1年間毎日夜泣きをする息子を、夜中に抱きあげて寝かしつけ、それでも朝は定時に起きて主人のお弁当を作って送り出し、上の二人の小学校と幼稚園の準備や世話をし、仕事に出かけ、自分が寝ているのか寝てないのか考える暇もなく、食事の支度、お風呂に入れて洗濯をして、絵本を読んで寝かしつけて・・・。
24時間営業の母業に疲れていたとき、6才の娘に「ママはサンタさんに何をお願いする?」と聞かれました。「みんなが元気でいることかな」と表向きの返事をしながら、内心「ゆっくり寝たい。友達とゆっくりしゃべりたい。味わいながらご飯を食べたい。時間を気にせずに買い物がしたい。美術館に行きたい。コンサートにも行きたい。そう・・・自分のための時間がほしい」と思っていました。
3人の子どもたちが、それぞれ違う学校に通っていたときは、運動会も3回、発表会も3回、それぞれの友達を招いたり、どこかに連れて行ったり、お稽古の送迎やサッカーの試合会場まで送迎したり、「おいしい!」と言わせたくて張り切って食事を作ったり、学校の委員やPTA役員まで・・・親としてできることに全力投球してきました。子どものお陰で、親としての豊かな経験をたくさんすることができました。
そして、ふと気がつくと、入学式も運動会も発表会もなくなり、サッカーの試合に連れて行くこともなくなりました。上の二人は関東の大学に行き、張り切ってご飯作ることも少なくなり、あっという間に卒業・就職し・・・親としてできることがどんどん減り、とうとう一番下の子が成人式を迎えました。ふと気がつくと母をそんなに必要としてくれなくなったのです。
そう、成人するというのは、自立するということ。親の手助けを殆ど必要とせずに生きていくということ・・・。それが記念すべきことなのに、急に寂しさがこみ上げてきます。
もっとゆっくり絵本の時間を楽しめば良かった。もう少しゆっくり公園で遊べば良かった。もっとじっくり話を聞いてあげれば良かった。もっと他の言い方で言い聞かせればよかった。もっと子どもと共にいた時間を大切にして、丁寧に子育てすれば良かった・・・そんな思いに襲われます。でもそんなことを思っても過去に戻ることはできないので、これからは社会人の先輩として、肯定的に見守っていくことが残された役割でしょうか。
こんなつたない子育て経験をした私ですが、これからも保護者の皆さんの子育ての応援をし、お役に立てたら嬉しく思います。まだまだと思っても二度とこの時間は戻ってきませんよ。

「子どものつぶやきから始まる保育」

先日、大阪府の私立幼稚園連盟企画の海外視察研修に行かせていただきました。
急激に発展しているシンガポールですが、幼児教育に非常に力を入れて2013年にSPARKという評価の枠組みを導入したことにより保育の質も急激に向上するという実績を積んでいました。5つの幼児教育施設を視察し教育省のトップのレクチャーを受ける事も出来、大変刺激を受けました。主任の小野寺敦子先生と一緒に参加しましたが、二人であやこや言いながら、せんりひじりの保育と比較しながら幼稚 園を見ることができ、参考になりました。
室内環境や屋外環境も工夫されていて、子どもが作った作品の見せ方がオシャレで、理念や保育内容の伝え方もわかりやすく、保護者の方も理解しやすいだろうなと思いました。一番すごいなと思ったのは、子どもたちの姿やつぶやきから始まるプロジェクト保育です。例えば、園内に蜂が巣をつくり「蜂蜜を食べたい」という子どもの声がきっかけで、蜂の生活や巣の構造を調べ、巣からはちみつを収穫しクッキーを作ったという素敵なプロジェクト活動や、嵐で倒れた木をそのままにしていたら子どもたちがそこで遊び始め、「うちのお父さん力持ちだからこの木を運んでくれるよ。」という子どもの声がきっかけとなり、保護者の方々の協力で素敵な森の遊び場に発展していったり・・・。子どもの考えやつぶやきを大切にしているところはせんりひじりと同じだなと思いました。違うなと感じたところは、話し合いの機会が断然せんりひじりの方が多いということです。個々の力を伸ばすと同時にみんなのアイデアや考えを結集して関係性を大切にしながら話し合ってモノづくりをしている点でしょうか。もしかしてとても高度なことを しているのかも・・・と感じました。
バナナ組では先生と子どもたちが段ボール紙で美味しそうなロールケーキを作っていました。すると子どもの中から「カフェやさんやりたい」の声が。それから、お金を作り始める子、お金を入れるレジを作る子、そしてスーパーまで作り始めて・・・子どもの発想はどんどん広がっていきます。先生は子どもたちの製作が広がっていくように様々な素材を用意します。一方、年長組では、クラスで話し合いをしながら一つのお店に仕上げつつあります。失敗しながらもアイデアを出し合いながら進めていく姿は頼もしく、 育ってるなあ〜を多々感じます。
先日の園内研修では、どこまで子どもの考えを待てばいいのかなどを考えました。子どもたちからどんな考えが出てくるのか、いつ出てくるのか予測しながら先生たちは環境の準備をしておきます。子どもが何を考えているかそれにどのように向き合えばいいのか・・・正解はないのですが、つぶやきを聞きながら、懸命に見つめ考えている先生たちがいる。そんなまなざしの大人がいる環境がステキだなと感じました。
ご家庭でも子どもの興味に合わせて、物を用意をしたりその場所に連れて行ったりされている話をよく聞きます。保護者の方も大変だろうなと想像しますが、労力や時間を惜しまずに子どもの興味につきあってあげることが必ず子どもが育つ糧になっていると思います。子どものために工事現場で数時間もじっとミキサー車を一緒に見ていたり、虫を探しに山の奥まで入ったり・・・自分が今までしなかった経験を親になって初めてすることもあったりしますよね。親って健気な生き物だと思いませんか。

「温かい眼差し」

運動会は晴天に恵まれ気持ちのいい一日になりましたね。工事のため手狭になっているに も関わらず、保護者の皆様が、譲り合い我慢してくださってご協力をしてくださったおかげで、子どもたちは伸び伸びと頑張ることが出来たと思います。年少組の解散が例年より早く、「最後まで見たかったのに・・・」というご意見や「子どもが疲れていたのでちょうどよかった」というご意見等をいただきました。皆様のご意見を参考に、来年度に向けて再検討していきたいと思います。
来賓の方々やお客様から、「子どもたちが生き生きしている」「この幼稚園の子はなんでこんなにく走れるんだ」などのご意見を頂きました。他に「保護者の方が、とてもマナーが良くて協力的」とのこと。「自分の子の学年が出ているときの応援はもちろん、ほかの学年の時も見守っているのがすごい」とのことです。他の幼稚園では、そうでないところが多いそうです。自分の子どもだけでなく、ほかの園児の様子も見守るそんな姿勢が素敵です。また自慢したくなりました。
運動会後の子どもたちの思いは様々です。負けた悔しさが残っている子もいれば、思いっ切りリレーや組体操が出来て気分爽快の子もいるでしょう。もう少しこうしたらよかったと振り返る子もいるかもしれません。お家の人が見に来てくれてただただ嬉しくて終わった子もいれば、大勢の人がいることで心がざわついて落ち着かなかった子もいるでしょう。それぞれが大切な経験として自分の中に取り込んだと思います。当日も大切ですが、子どもがうんと成長するのは運動会を迎えるまでの途中の活動の中で・・・ですからね。
子育てに力が入れば、親はつい欲張って我が子を見てしまうことがあるかもしれません。私も子育て中はそうでした。今、性格の違う3人の子どもが成人して思うことは、子どもの欠点だと思っていたことが、大人になると生きる力となって発揮される場面があり、「あの時のこだわりはここにつながっていたのか・・・」と数年後に気づかされることがあります。
今週から秋のクラス懇談会が始まります。保護者の方同士のグループワークの中で、違う角度からの意見に気づかされることもあると思います。「そうかそこはそんなにこだわらなくてもいいことなのか」とか「そう考えることもできるのか」とか、子育てのヒントになることが見つかるといいですね。運動会の時のようにお互いの子どもや子育てのことを温かく語り合って下さいね。

「社会情動的スキル」

長い夏休みが終わり、子どもたちは口々に「恐竜見たよ」「イルカ触った」「おばあちゃんと遊んだ」「飛行機乗った」・・と、夏の思い出を話してくれました。
工事の関係で、長い夏休みになりご迷惑をおかけしました。「費用が安くなってから旅行に行けたからよかったわ」と言って下さる保護者の方もいましたが、「夏休みに入って3日目からずっと、幼稚園行きたいって言ってましたぁ・・」という保護者の方もいて、長い休みの間、大変だったこととお察しします。
我が子が小学生の時は、夏にしかできない「自由研究」の宿題を子どもと一緒に考えるのが好きでした。自分の身の回りの不思議を調べたり、足を運んで話を聞いて、写真と共に記録したり、自分なりの考えをまとめて考察を書く仕上げを見守りながら、問題集よりもこんな自主的な学びの方が、子どもの力をうんと伸ばしてくれるような気がしていました。
幼稚園では、カーニバルが終わる頃から年長組の子どもたちがお店屋さんごっこに取り組みます。何のお店にするか話し合うところから、何の素材を使ってどんな形に 作るか考え話し合い、うまくいくように試行錯誤を繰り返し、失敗を乗り越えて、お店をオープンさせます。運営がうまくいかないとまた話し合い、役割を自分たちで決めていきます。主体的に生き生きと活動する中で育つ力が素晴らしくて、いつも人に伝えたい気持ちでいっぱいになります。
そんなお店屋さんの取り組みで育つ様々な力が、今、OECDで幼児期から育てることが大切だと提唱されている「社会情動的スキル」にぴったり当てはまるのではないかと思いました。そして、去年の年長の担任たちと、場面ごとの子どもの育ちを検証してみました。子どもたちの会話の一つ一つからその思いや力を丁寧に追うことで、子どもたちの育とうとしている力が浮き上がってきます。そんな思いを知ることで、見通しを持つことができ、子どもの育ちを待ちたい気持ちになりました。
そして、8 月に福島での「日本幼児教育実践学会」で発表してきました。「こんな楽しそうなお店屋さんごっこを見たのは初めてです」「子どもの育つ力を言語化することでわかりやすい」と高評をいただきました。又、その他、園内研修でも、先生たちみんなで子どもの育ちを語り合い、暑い夏を終えました。
実りの2学期に備えて準備オッケーです!!今学期も宜しくお願いします。

「向き合う」

いよいよ夏休みに入ります。いつもより子どもと過ごす時間が長い分、どこに連れて行こうかなぁ、何をしようかなぁ、楽しみなような、ちょっとめんどくさいような・・・そんな気分の日もありますよね。
「この子の人生の中で、この一瞬はもう二度と来ないんだ。」と、子どもを育てていときにふと思ったりしました。親が子どもと一緒にいられる年月は限られてて、大人になって自分の力で生きていく年月のほうがずっと長いですよね。その長い月日を、小さいころに親にもらった愛情と、親と経験して貯め込んだ感性を食べながら生きていく・・・そんな風に思うと、一緒にいることのできる短い月日を密度の濃い時間にしたいと思ったりしますね。
でも特別なことをしなくても大丈夫。夏休みは、いつもよりたっぷり時間がある分、その時間を親子で向き合って楽しむことが、目に見えない心を豊かに育てることになります。わたしたちがよく言う「心を育てる」というのは、社会情動的スキル(不思 議だな、なぜ?やってみたい、おもしろそう、がんばろう、試してみよう、悲しそう、 困っていないかな・・・など)の様々な心の動きをたくさん経験し、また共感してもらうことによって育ちます。そして、学ぶ力はその社会情動的スキルと共に育つと言われています。
年長組が7月15日から一泊二日で、能勢にお泊り保育に出かけます。能勢の古い民家に泊まります。土間や縁側があるような日本家屋です。そして、近くの山や川に行って自然と触れ合います。子どもたちにとっては寂しがる暇がないほど刺激にあふれた2日間です。山や川で目に入る風景の不思議に気づくためのしかけや関わりがあったり、少しの「できるかなあ」にチャレンジしたり、見つけたことをみんなで教えあったり、共有したりします。自然の中での危険性や管理が難しいことでレジャーランド等での宿泊保育にするところもあるようですが、自然の中で子どもの感性を育て ることがその後の人生の大きな力になると思えば少しの労力も惜しくはないですね。
私たち職員は夏休みに様々な研修会に行きます。そして今年も「日本幼児教育実践学会」で実践発表をします。自分たちの学びの機会でもありますが、子どもたちの幸せな育ちのためにみんなで語り合う暑い夏にしたいと思っています。 皆様も健康に気を付けて、充実した夏をお過ごしください。

「答えは子どもの中に」

6月に入り、15クラスのクラス懇談が終わりました。お母様同士の話し合いの中で悩んでいることの答えが見つかったり、おもしろいアドバイスをもらって笑ったり・・・楽しそうなお母様方を見て、私もママ友にたくさん助けてもらったのを思い出しました。育児書に書いてあることより、先輩ママの体験談の方が生々しくて参考になったりしますよね。
子育ては正解が見つかりにくいものです。場合によってはなかったりして・・・。いろいろ試しているうちに解決したりします。困ったことがあると、どうしようか子どもの様子をよく見ますよね。どうやって関わろうか考えたりしますよね。それは「答えは子どもの中にある」からです。私たちの保育も計画を立てるときに、まず、一番大切なのはその時の子どもの育とうとしていることは何かを見ます。そこに合わせて計画を立てていかないと大人の都合保育になってしまうからです。
ところが母と子は一心同体の近い存在。近すぎるからこそ、子どものいいところもよくないところも見えなくなることがあります。そして冷静に関わっていられなくなったりすることもあるでしょう。何年か前に、あるお母さんから「家で毎日毎日こどもたちが兄弟げんかをするので、それを止めたり解決することに疲れきってしまいました。」という相談がありました。兄弟姉妹は遠慮なく思いをぶつけ合うことのできる相手ですから、自分たちで円満解決するのを待っていてもなかなかけんかは止まらない。最後は下の子が泣いて上の子を叱る・・・といったことが多かったり・・・。そして上の子を叱ってしまった自分 を反省したり・・・。ほんと疲れちゃいますよね。
以前、園庭でサッカーをしていた年長組の子どもたちがなにやら7.8人集まってもめていました。「まだはじまってへんやろ」といきなりゴールを入れられたチームが、いつ始まったのかわからないうちに点を入れられたことを怒っています。点を入れたチームは「「いくぞ」って言ってからキックオフした」。「聞こえなかった」。「言った」。「ずるい」。「もんくいうな」・・・。の言い合いをしていました。どうするかなと思ってしばらく見ていたら、A君が「みんなが試合が始まったってわかってなかったらサッカーにならへんやろ。最初からやりなおそ。」とボールを真ん中に持っていきました。そしてみんなはそれにつられて最初から試合開始となりました。その言い出したA君はまさしく「毎日兄弟げんか」で悩んでいたお母さんのお子さんだったのです。毎日小学生のお兄ちゃんと兄弟げんかをしながら、どうやったらうまく関係性を作れるかを考えてきたのでしょうね。
子どもは毎日が生きていくことの練習。子どもが育とうとしていることを肯定的にとらえることは難しいときもありますが、少し離れると見えてくる。けんかがいいとは言いませんが、人間関係の練習しているんだと思えば、「しばらくいいか」と思えたりしますよね。あまりにエキサイトしてきたら、途中でジュースを入れてクールダウンさせたり、両成敗して反省させたり・・・。でもきっと子どもは育ってますよ。