園長通信

「ご縁に恵まれて」

● 1学期終了 みんながんばったね!
 早いもので、今日で1学期の通常の保育は終了し、年長組のお泊まり保育を残すのみとなりました。1学期はどの子にとっても大きく環境の変わる時です。その1学期の終わりにいつも思うことは、子どもたちが、入園や進級という環境の変化に適応し「本当にえらかったなあ。」、「子どもたちはすごいなあ。」、「柔軟だなあ」ということです。この1学期の自分自身を振り返ると、それなりにがんばったつもりですが、成長という点では子どもたちには本当にかないません。そして、その子どもたちを支える保護者の皆さんや幼稚園での先生たちにも「本当にお疲れさまでした。」と頭が下がる思いがします。新入園された保護者の皆さんは初めての集団生活でのご心配があったと思います。登園を渋る我が子の気持ちを受け止めたり、励ましたり、また、健康のこと、友達のこと、様々なことに心配りをされていたことと思います。オリンピックの日本代表のように、多くの人に注目されたり、大きな声で声援されたり、ニュースで「○○ちゃんママ、ナイスフォロー!泣いていた○○ちゃんを見事に受け止める!!」、「〇〇くん家を出る準備の時間20分切る!」みたいに取上げられるわけではありませんが、「わたしなりによく頑張ったよ。えらい、えらい。」と自分で自分を誉めていただければと思います。そして、何より、この幼児期に、しっかりと受け止めてもらったことは、その子の一生の財産になると思います。家庭においても幼稚園においてもそうですが、目には見えないけれど、子どもを思う気持ち・愛情は必ず子どもの心に届き、そして、ずっとその子を支え続けると思います。改めまして、本当にお疲れ様でした。

● せんりひじり幼稚園50周年
 せんりひじり幼稚園(学校法人ひじり学園)は昭和41年(1966年)9月1日に開園いたしました。この夏でちょうど50周年を迎えます。「ひじり」という名称は姉妹園のひじり幼稚園(大阪市内)が大正12年に創立された時に祖父の安達晋が名付けたものです。  
 その当時はまだ幼稚園というものが地域にはなかった時代でしたので、本当に苦労の連続であったと伝え聞いています。祖父は進取の気風を持った人で、自分が実家の浄土真宗のお寺の住職を継くことは分かっていたのですが、仏教だけを勉強するのでは無く、キリスト教も勉強することで客観的に仏教を見ることができるはずであると、大学は関西学院というキリスト教の大学のしかも神学部に入学しました。晩年、「キリストさんも良いことを言ってはる。根本の部分では同じである。」と言っていたようです。そして、友人がヨーロッパ留学から帰国したときにフレーベル博士のキンダーガルテンの話を聴いて閃いたのか、お寺の中に幼稚園を作りました。大阪の空襲で当時の貴重な資料の多くは焼けてしまって残っていません。父や叔母から伝え聞いている祖父の言葉は
「子どもには仏性が宿っている。子どもの素直な心から学ぶことが悟りへの道。」
「『青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光』阿弥陀経の中のこの言葉は幼児教育の心そのもの。その子の色を大切にすることを忘れてはなりません。」
というようなもので、「子どもからまなぶこと」「その子の色を大切にすること」などはひじり幼稚園以来ずっと大切にしてきたことで、園の文化の中にずっと残っていると感じますし、子どもの中に仏を感じた祖父が「ひじり(聖)」という名称に込めた思いは大切にしなきゃなあと思います。
 現在、OECD加盟の先進諸国では、子どもが遊びを通して主体的な学びを深めることが問題解決型学力の育ちの根幹に関わっていることが明らかになり、乳幼児期からの遊びを中心とした教育が重要視されています。幼稚園教育要領や保育指針等の改訂にもこれまで通り(それ以上に)遊びや生活を通して、子どもの主体性の育ちを大切にしていく方向性になることは確実ですが、真の意味での幼児期の教育・保育の質の向上がますます重要になってきています。
 せんりひじり幼稚園の保育は、今、各方面から評価されるようになりましたが(先日はどこからか噂を聞きつけた、東京の某区の保育課の方々が来園されて、「ぜひ、うちの区に開園してください。」とお誘いいただきました。無理ですと即答しましたが(笑)。)20年近く前までは、現在ほど子どもを主体としたものではありませんでした。しかし、本当に幸運なことにある研究会に参加することにより、子どもの幸せのために保育を良くしようと心から願われている先生方との出会いがあり、公開保育を実施し、大きな衝撃を受けたものの自園の課題を園のスタッフ全員で共有し、自園の保育を変えてきました。マラソンランナーが自らを鍛えるのは自らが走ること以外に術はありませんが、スーパーバイザーの小田豊先生や岡建先生(大妻女子大学)とのご縁をいただき、導いて下さったことに心から感謝をしています。
 このような幸運が重なってまだまだ未熟ではあるものの少しずつ保育を変えることができました。その要因はいくつかあると思いますが、何をおいても保育者間のよい関係性(同僚性)が園の風土としてあることだと思います。子どものことを話し合う時には、ひとりひとりの保育者が安心して自分の思いを語れることが必要で、同僚同士が違う意見を言い合える「あ、そういう見方もあるんだ。いいね!」と認め合えることで、みんなで子どもの良さが見つけられます。自分を出せる安心感、自分が受入れられていて自分らしく居られることが大切なように思います。
 子どもが育ち合う仲間なしに一人では育つことが難しいように、保育者も一人では育ちません。そして、それは保護者も、園長、主任もそして園そのものが孤立していては育たないのだと思います。人間は人と人との間でこそ育つ社会的動物です。自分の良さやらしさを発揮しながら、語り合いつながることで意欲的に頑張れるのだと思います。
 これからも、日々の保育で、今、この子にどのように関わっていけば良いのか、どのような環境を用意すれば良いのか、迷ったり、悩んだりすることも当然あると思いますし、無くならないと思います。しかし、そのようにその子の心もちを理解しようと迷い、悩むことそのものがとても大切なことですし、子どもにとっては自分のことを一生懸命考えて悩んでくれる人がそばに居てくれること自体がとても嬉しいことだと思います。
 人生の始まりである乳幼児期に全ての子どもが愛されて育ち、自分が自分であっていいと言う感覚と、人は信頼するに値する存在であり、他者と共に居ることが心地良いという感覚が育つようにこれからも子どもの思いに寄り添い、子ども一人一人の良さが伸びるように、みんなで悩み、みんなで学び、それら全てをひっくるめてみんなで楽しんでいけたらと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。